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zoom RSS PSY・Sのアルバムレビュー(その8−1)

<<   作成日時 : 2005/08/31 23:16   >>

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 まずはPSY・Sの8枚目のアルバムの頃のインタビューです。
 ただ、アルバムの話は少なく、どちらかというとこの頃にリリースしたCD-ROMの話が多いです。
 当時CD-ROMなどはほとんど存在しなかったので、松浦さんの先見の明を垣間見えるところです。
 では、どうぞ。。。


−1年半前にライヴアルバム「TWO SPIRITS」を出された時に、次回作が3部作の完結編になるとおっしゃってましたが?
松浦◇あのとき、CD-ROMが出るか出ないかというのは、非常に不確定な状況だったんです。何せソニーレコードとしてはCDの形はしていますが、オーディオCD以外の最初の商品ということだったので。言い方が不鮮明になってしまったんですけど、3部作の完結編というのは「WINDOW」の事ではなくて、CD-ROM「THE SEVEN COLORS」のことなんです。ですから、「WINDOW」というのはそこからは外れたものになっていて、3部作というのは「TWO HEARTS」、「TWO SPIRITS」、「THE SEVEN COLORS」のことで、いわゆる普通にオリジナルアルバムを作っていくという感覚ではないんだけど、過去にあったものとか、リミックスとか、ベストだったりするんです。要するに普通のオリジナルアルバムとは違ったものを表現するために作られたものです。

−今回の「WINDOW」の中には、CD-ROMの中に収録されている曲も入っていますが、ここら辺の関係というのは?
松浦◇その辺は別に関係なくて(笑)。「THE SEVEN COLORS」が終わった時点で気持ち的にはリセットされた部分もあって・・・。「THE SEVEN COLORS」の中だけでしか聴けないと言うのだと、CDしか聴けない人にとってはすごく排他的なニュアンスがあるので。実際はそんなことはないんですけど、せめてどんな曲だったか位は聴いてもらえた方が親切かなとも思うし。それと、単純にPSY・Sの曲として新たに発表しても遜色のあるものではないというのもあるんです。

−「WINDOW」自体の制作はいつから?
松浦◇過去にCD以外で発表した曲というのが3曲あるんですが、それ以外を作り出したのは今年の1月の終わりくらいです。「ハートのパティオで逢いましょう」と「THE SEVEN COLORS」というのはCD-ROMに入っていて、「Blue star」というのは、PCエンジン用のゲームソフトに入っている曲です。その3曲が既発表と言えばそうなんですが、「Blue Star」という曲はゲームが終了しないと出てこない曲なので、それをゲーム上で聴いた人はすごく少ないと思います。

−先にCD-ROMを見たせいか、「WINDOW」は全体を通して聴いた時に、あのイメージと重なってサントラ的に聴こえてきたんですが?
松浦◇それは誤解だと思うなあ。そんなことないと言い切るのも変なんだけど、それは実は逆に嬉しいことだったりするんですよ。PSY・Sの曲ってよくビジュアルが浮かぶ曲って言われたりするんです。「THE SEVEN COLORS」をやろうと思った理由はいろいろあるんですけど、「ATLAS」ぐらいのアルバムだったら割と自然の風景とか、水彩画とか抽象画みたいなものを思い浮かべているに違いないなあと。例えばもっと昔の「Different View」みたいな古いアルバムだったらポップアート的なものだったりするんじゃないかなとか。で、僕としてはその時々にそういうイメージを付けてる所があるんですけど、「THE SEVEN COLORS」はそれを具体的に見えるものにするということですから。人づてで聞いた話ですが、熱心なPSY・Sファンの中で「THE SEVEN COLORS」をやってみた感想でひとつ文句としてあったのが、「感情移入できない」というのがあったんですよ。それは何故かというと、自分の描いているビジュアルイメージがあって、それが(コンピューターの画面を通して具体的に)与えられてしまうということが、普段PSY・Sの音楽を聴いてる時のイメージのつなげ方とは違うつき合い方をしなくてはならないというか、それを強要されてしまうせいで感情移入できないと言ってくれるんだと思うんです。だとすれば僕としてはそれが一番大成功みたいな所もあるんです。あの3部作と言われたものの意味というのは、自分から積極的に感情移入ができない人でも楽しめるPSY・Sの音楽にしたいというのがあったから。それの形の作り方はいろいろありますけど。感情移入ができないと言われた部分があるということは、逆にイメージを膨らませられない人にとっては、与えられる安心感があるということだとすれば正解だったんじゃないかな。

−具体的に絵を見えるようにする手段として写真集とかビデオとかいう方法もあるんですが、敢えてCD-ROMを選ばれたのは?
松浦◇それ以外の表現方法は不的確と思ったからですね。なぜかっていうと、例えば映画だってマルチメディアかもしれないじゃないですか。だけど、あれをマルチメディアと言わないのはなぜかっていうと、音楽と映像が一体になっていて不可分になってしまっているので、それぞれを単独に語るのは難しい。まあ、ホイットニーヒューストンの挿入歌とかは別かもしれないけど。で、自分が表現したい映像のイメージというのは音楽と不可分なもので、なおかつ映画のように足を運ばなくては見れないものじゃなくて、CDと同じように手元で鑑賞できて、ビデオみたいに擦る度に劣化するものではなくCDのようにある一定のクオリティをずっと保てるもの、というふうにいろいろなことを総合していくと、写真集でもないし映画でもないということになっちゃうんです。

−ただ、現時点ではMac用のCD-ROMということで、メディアを持っている人が非常に限定されてしまいますよね。
松浦◇うーん。多分ね、具体的な数字を言うと100分の1だと思いますね。PSY・Sのレコードを聴いている人と、実際に「THE SEVEN COLORS」を持っている人の数の比は。そういう意味だと確かに一般性に欠けるということは言えると思うんだけど、このままの形だってことはあり得ないと思うんですよ。Macそのものも、他の機械もそうだと思うし。その一つの方向性みたいなものは見えるところがあったので、それで一つのモデルケースというかテストケースという意味で作ったというところもあったので。これ自体はレコードのようなスピードで消費されるものではないと思うので、例えば他のプラットホームに移植するとか、ある種ダイジェスティックなものにしてしまうとか。それとオリジナルの方は広げて深くしていって、俗に(コンピューター)ソフトで言うバージョンアップというイメージに近いことと、その両方できるんじゃないかなと。それで80分の1なり60分の1になってきて、そのうち10分の1ぐらいになってくればかなりの人が見れるんじゃないかなあというね。それは割と世の中の流れを見ていてもそういう方向にあると思うんで。
 偉そうなことをやっているというイメージってないんですけど、「レコードとかCDとかいうものは何なのか?」という非常に漠然とした問いかけをしてみた時に、それに対する僕なりのひとつの解答ということです。僕はベーシストとかギタリストとかの演奏力とか技術力を問わなかったりとか、そういう人たちと深いつき合いにはなれなくて、逆にCGアーティストとかと共有できる部分が多いような気がする理由はなぜかというと、僕の打ち込みのスタイルというのはテンキーから入っているというのがあるじゃないですか?

−コンピューターのですか?
松浦◇ええ、いわゆるコンピューターのキーボードから入力するというスタイルから始まったんで、逆に今”パフォーマー”とかMacのシーケンサーって簡単に鍵盤で入れられるじゃないですか。その方が僕には違和感があったりするんですよ。ただ、たまたまある程度(鍵盤を)弾けるので気にせずやってますけど。結局CG屋さんとかって、粘土を作って3次元スキャナーで入力したりするわけではないので、オリジナルがコンピューターの中にしかないものでしょ。もし”パフォーマー”にMIDIキーボードで演奏するんだったら、本物の生のピアノでもいいですよね。それこそLAあたりに雑音の絶対入らない50畳ぐらいのきれいな部屋があって、そこにマイクをちょんと立てて、ハードディスクレコーダーとか優れたものがあれば、シーケンサーじゃなくてもいいじゃないですか。あとはサウンドを切り貼りしていけばいいわけだし。昔のレコードもそうでしょ。演奏してる人がいて、それを記録するからレコードになってるんだけど、僕らは演奏者がいないというところがあるじゃないですか。で、そういうふうなもののオリジナルというのはどこにあるのかと辿っていくと、コンピューターより前にないんですよ。あとは、自分の頭とかマインドとか形のないものになってしまう。そういうもの作りをしている人たちの独特の感覚っていうか、意識してない人も多くないかもしれないけど、そういうものをコンピューターの外に出すとか出さないとかいうことに他の人よりもこだわりがあると思うんです。その結果なんじゃないかな。結局、絵本とかビデオとかは全部コンピューターの外に出してしまうじゃないですか。作っているのはたとえコンピューターであっても、コンピューターの手前に何かがあれば、単なる通過点としてフィルターとしてのコンピューターだと考えられますよね、エフェクターっぽいっというか。僕の感覚はちょっとそれとは違うせいだと思います。

−ということは、1月から作り出した7曲も、そういう感覚でコンピューターと対峙して作ったわけですか?
松浦◇うーん、そうですね。それって変わってないですね。ただ、音楽の実際の制作の現場っていうのは、そういうリアルタイムっぽさとか生っぽさっていうのが常に重要なファクターなんで・・・。でも・・・、やっぱり人前で演奏するのって緊張したりするじゃないですか?ライヴの面白さっていうのはそういう緊張感で演奏が高揚するっていう部分もあると思うんですよ。プリプロとかで家でひとりでやってる時に、それをシミュレートするというのは馬鹿げてるというかね。昔、ローリー(寺西)が鏡の前で衣装キメキメでギター弾きながら曲を作るという話を聞いたことがあるんですが、それはローリーだからおかしいわけで、それは僕にはできない。

−曲作りは割と曲先ですか?
松浦◇そーですね。3対2位ですね。

−詞が先になるとどうしても詞のイメージがありますよね。先ほど言われた聴く側がイメージを膨らませながら聴くというのと同様、作り手としてもイメージしながら作る部分ってありますよね。詞がまだない時にイメージしながら作る場合、どういう状態に自分を持っていくんですか?
松浦◇うーん、これは難しいな。僕のやり方というのはパターンが決まっていて、最初にまず善し悪しを判断するたがを完全にポーンと外しちゃうんですよ。ズドンと落ちたところからスタートして何でもOKっていうのをまず1回作っちゃう。何でも自分から出たものが良いんだよという、ある種暗示をかけるような部分があって、それで出来上がってきた断片のイメージを、荒削りにいらないものを減らしていったり、そこからイメージできるものを足していったりして、ある形になって初めてそこで外していたやつ(善し悪しを判断するたが)を戻してきて、どの程度それにそぐっていくか判断します。大体そういう時って70%位はOKで、30%位は気に入らないって感じなんですよ。そこで、その30%をとると何か足らなくなっちゃいますよね。それをどういう風にして100に戻すかということを考えつつ違うことを考える。またその違うところでズボンと抜いちゃって、組み立てていくんだけど、今度は全く(たがを)外してしまうんではなく、善し悪しの判断は外してるんだけど箱は2個目だよという、こういう箱(先の70%)の上に置いてある箱だよという前提は頭の中に置いたまま1からやる。それでもう1回形になっていった時に、また戻してきて最初のものとの関係を考えて、こんな風に置けるなとか、あんな風にできるなとか、ある種の組み立てができますよね。それを大体10個ぐらいやるのかな。そのぐらいになると出来上がるものが段々小さくなってくるんですよ。
−それはサイズがですか?
松浦◇うーん、思い浮かぶイメージの全体量が。それはどうしてかというと、最初の2,3個が頭の中に残っているもんだから、あんまりイメージが広がらなくなっちゃうんですよね。それで、自分としては語り過ぎてないかとか、何か足らないじゃないかとかとか考えながら、パッチワーク的なオブジェを作るイメージなんですよ。それが出来上がったら、メッキすると言ったらイメージが悪いんだけど、それをコーティングするというか・・・。
−上薬を塗るような?
松浦◇そうそう。そういう感じで全体に踏襲すべきポイントを探してきて。ある時は、木目が汚いから上から色を塗っちゃうというのもあるし、木目が綺麗だったら木目を生かすような仕上げをするし、それぞれにもともとあった素材を一連の存在に聴こえるようにするというか。
−そのパーツというのは、具体的にパートとか音色とかを指すんですか?
松浦◇もちろんそれもあるし、ある4小節のことを指していることもあります。時間軸上のパートという意味で。リズム体のこともあるし。
−ということは、楽器の抜き差しだけでなく、ある4小節を抜いてみたりとか・・・。
松浦◇もう、それはしょっちゅうです。
−そういう作業はコンピューターで何バージョンか作りながらやるわけですね?
松浦◇そうです。特に今回のアルバムなんかの場合、フェードアウトがないんですよ。ということはエンディングを作らなくてはいけないわけで、そのエンディングを作るということは何がしかのオチを付けるわけですから、そこだけでも何バージョンも作りました。打ち込むという手法を使っていると、どうしても曲があっけらかんと終わってしまうというのを、改めて発見しましたね。クラシックみたいなエンディングにはならないです。「THE SEVEN COLORS」ともちょっと関係するんだけど、音楽を作っている人って、デコレートするよりも割愛していくセンスが必要だと思うんですよ。例えば、楽器を16台持っている人がいたら、17台目というのは絶対ないわけで、じゃあ、その16台を鳴らしたらもう終わりだなというイメージが自分の中にあるわけですよね。なおかつ、これぐらいで自分にとって過不足ない表現だと判断している部分があるけど、クラシックの典型的なエンディングっていうのは、それまでのそれぞれのパートで演奏している楽団員の割合が7割でも、最後に突然120%ぐらいになっているというのがあるじゃないですか。そういうのって、打ち込みでやるのはすごく難しいんですよ。そこまでで自分のイメージが飽和してるのに、そこに新たな何かを継ぎ足すというのは難しいから、駄目なんですよ。

−今後、CD-ROMに続く創作メディアとして新しいものを考えてらっしゃいますか?
松浦◇考えてます。ただ、公表するのはちょっと難しいんですよね。「THE SEVEN COLORS」の時もあれだけ確信があったにもかかわらず、ああいう曖昧な言い方しかできなかったような状態なんで。「ある」ぐらいしか言えないというのはありますよ。
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